学級経営講座㉒ 常識ってなんだ?

学級経営講座

こんにちは。春名佑紀です。

あの、「学級経営講座」が帰ってきました!!
待ち望んでいたことでしょう。
(そうでもないって顔しないでください。)

と言いつつ、もう2か月以上も放置していました。
ちょうど、暑くなった頃から更新していませんでした。
それはなぜかというと・・・。

 

 

 

 

仕事部屋が暑いからです。

 

クーラーなくて、PCごと動かせばいいんだけどね。

って言い訳は置いといて。

他にもいろいろ片付いたってのもあって、また少しずつ再開しようと思います。

 

さて、今日のテーマは、

「常識って何?」

ってお話です。

特に学級経営とは関係ないかもしれませんが、教員としての意識の話でしょうか。

私たちは、それぞれ「常識」とか「あたりまえ」と思うようなことをもっています。

 

たとえば、

「人に迷惑をかけてはいけない。」
「時間を守らなければならない。」
「好き嫌いをせず、残さずに食べなければならない。」
「人に悪口を言ってはいけない。」

 

とまあ、永遠と出てきそうですが、
学校はこの「常識」を多く抱えている場所でもあります。
中には、学校だからというものではありませんし、
上に挙げたものは社会に出てからも、程度の差こそあれ、全くかけ離れた常識ではありませんよね。

しかし、現代は上の事例に至っても、「通用しない」ほど様々な考え方が世の中に出回っています。

もはやこれらは、「常識」と言えないレベルまで一つの「価値観」となっています。

 

その一つに

「学校には行かなければならない。」

 

というものがあります。
これは30年くらい前は当たり前のことでした。

しかし、言わずもがなですが、この考え方は現在揺らぎつつあります。

少し前に、小学生YouTuberが注目されましたが、
全国的に「学校へは行かなくてはならないわけではない。」という風潮が見られてきました。

この賛否については、様々な方が意見を述べていらっしゃるので、
私の考えについては、また別の記事にまわしたいと思いますが、
この話で一番大事なことは、

「学校へ行くということは、今や常識ではない!!」

ということです。

学校の教員であれば、「学校に行かなくていい」とはなかなか言えないかもしれませんが、
風潮としても、「何が何でも来させる」ということはしてないと思います。

でも、学校サイドは心のどこかで
「学校には行くべきだろう。親は学校に行かせるべきであろう。」
と思っていると思います。

そもそもの「学校へ行くかどうか」すら、常識だとは言えない社会なのですから、
学校の中にある無数の「常識」が、社会の「常識」なのかどうかは疑問が残るわけです。

 

学校の中にいると、こういう「常識だ」と思っていることにマヒしていることがあります。
もちろん、全てを疑えとは思いませんが、
昔と違い、「常識だ」と思っていることが、社会で通じないことが多く起こります。

今ネットニュースを賑わせるような学校ネタも、多くはこの「常識のズレ」を取り上げられているように感じるのです。

別に「常識だと思う」ことが悪いわけではありません。
実は「常識」という言葉を使う一番の問題点は、

「常識」=「正しい」

という理論となり、お互いの「常識」をぶつけ合う結果となることです。

「学校へは行くべきだ」と
「学校へは行かなくてもいい」
をぶつけ合っても、話は平行線だし、解決はしません。

なぜなら、お互いが「正しい考え」だと思っているからです。

「正しさ」で競うと決着はつきません。

 

上で「価値観」という言葉を使ったのは、「常識」と考えるのではなく、それぞれのスタンスであると考えれば、「すり合わせ」ということができるようになるからです。

 

「学校行くべき問題」は、世間的にもアツい議論になりがちなので、例として取り上げましたが、
こういう「常識」が学校には多く存在します。

 

「常識を疑え!」

なんてかっこいいことを言うつもりはないのですが、
教員であればなおさら、様々な「価値観」をもっている人と接していくのだという自覚が必要かなと思うし、それをいったんは受け止める度量も必要なのかなと思います。

結局は心のゆとりってやつですかね。

ただ、総じて教員は「常識」という言葉を拠り所にする傾向があるので、
自戒も含めて、常に「常識」を見直すことは必要かなと思います。

 

あなたはどんな「常識」をもっていますか?

 

今日も、あなたの人生を応援しています。

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