子どもたちの「生きる力」② 豊かな心とは

教育全般

こんにちは。春名佑紀です。

今部屋の窓を開けていると、近くの学校から運動会らしい音が聞こえてきます。
徒競走かな、ダンスかな、なんて思いながら聞いていると懐かしいですね。

さて、今日は「生きる力」第2弾

「豊かな心」

これまた、ふわっとした表現ですよね。
どうとても解釈できます。

ちなみに、文科省の定義では、

「他人を思いやる心や感動する心」

と簡単に書かれていた。

定義を見てもつかみどころのない表現ですよね。
具体的な施策として掲げられているのが

「道徳教育の充実」

ここまで見ると、

「豊かな心」の育成のために「道徳教育を充実させる」

というよりは、

「道徳教育を充実」させるために、「豊かな心」を押していこう

というふうにうがった見方をするのは私だけでしょうか・・・?

それはさておき、
文科省はかなり道徳教育を推進していきたいと考えています。

前回の学習指導要領改訂では、道徳教育推進教師の任命などを盛り込みましたし、
今回では、なんといっても、「道徳の教科化」そして「評価」が入り、
いよいよ子どもの道徳心を教員が評価する時代になってしまいました。

道徳教育の是非については、今回はテーマではないのであまり深く突っ込みませんが、
道徳教育を充実させていくと、子どもたちの心は豊かになっていくのか・・・?
という疑問はもっています。

もちろん、道徳が不要だとは思っていません。
道徳の授業も、ピタッとはまると学級がいい方に動いていきます。
また、道徳の専門の先生が行う授業は、かなり感動します。
1週間に1時間、心について扱う授業があるのは、とてもいいことだと思うのです。

しかし、それと、「豊かな心」の育成とはすぐに結びつくかは何とも言えません。

そもそも、「豊かな心」って何でしょう?

思いやりをもつこと?
相手の気持ちがわかること?
人にやさしくすること?
人のために役立つことをすること?
きれいなものをみて心震わすこと?
家族や地域、国など自分が所属するものを愛すること?

どれもこれもそうだと思うのですが、
どれもこれも大事だと思うのですが、

じゃあ、どうしたらこういう心をもって
人や集団と関わることができるだろうか?

それって、

「自分を愛しているか?」

ということなんではないかと思うのです。

あ~~~、怪しいとか思わないでくださいね。
急に、宗教とか精神世界とかにいかないので、
もう少し付き合ってください。

例えば、「人の役に立つ」とか「人にやさしくする」とか
具体的にどうするといいのかを教えることはできます。

落ちた消しゴムを拾ってあげる
教科書を見せてあげる
荷物をもつのを手伝ってあげる
席を譲ってあげる

どういう行動が「人にやさしい」とか「役に立っている」とか
示すことはできますが、

そういう行動をしたからといって、「豊かな心がある」といえるかどうかはわかりません。

それら行動が、
「こういう行動をすると、内申点が上がる」
「点数稼ぎができる」
「いい人に見られる」

などの気持ちからの行動だったとして、それは「豊かな心」なんでしょうか?

百歩譲って、行動しないよりはよいを評価したとして、

それらの行動に対しての見返りが無くなった場合、その人はその行動を続けていけるのでしょうか?

自分が行う行動は全て「自分の意思」です。
他の誰かが、あなたの体を動かすのではなく、何らかの意図をもって自分が動かします。

自分が取った行動そのものに心地よさを感じる、
例え相手の反応が自分の予想したものではなかったとしても、
自分はその行為をしたことをよかったと思える。

こういう気持ちをもつためには、
自分を肯定し、自分の存在を認めていないと難しいですよね。

とはいえ、人間は、他者の評価を気にする生き物ですから、
純粋に自分のことを肯定できたら、人にどう思われようと関係ないとまでは
思えないと思います。
でも、自分の軸をしっかりもっていれば、
他者の評価に振り回されることはなくなります。

この「自分の軸」となるのが、「自分を愛していること」と繋がると思っています。

急に「愛」とか使うと馴染みがないかもしれませんが、

別の表現をするのであれば、

「自己肯定感」
とか
「自己受容」
とか

ですかね。

自分の存在を「いいね」って認められたら、
きっと見えてくる世界が変わると思います。

今日の話のまとめになりますが、
「豊かな心」とは、

自分の存在を受け入れ、認め、愛することができる心

ではないかと思います。

それには、子どもに関わる全ての大人が、子どもらの成長を望み、
見守り、時には叱り、愛情をもって接してあげることだと思います。

もちろん、親からの愛情が最もその心の醸成には効果がありますが、
それが叶わない状況ならば、周りの大人がそう接してあげればいいのです。

「見守っているよ」
「見てるよ」
「そばにいるよ」

というサインを送ってあげることが子どもの心を最も育てるのではないでしょうか?

 

 

ちょっときれいにまとめすぎたかな?

いつも通り、ご意見・ご感想などいただけたら嬉しいです。

今日も読んでいただきありがとうございました。
あなたの教師ライフを応援しています。

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