突然出てきた「授業時数特例校」導入

学校あれこれ

こんにちは。春名佑紀です。

いや〜、月曜日の朝からびっくりしました。この記事

「教科の授業時間配分、来年4月から小中学校の裁量に」(読売新聞)

あまりニュースなどでも取り上げられていないので、それほど大きなものだと思われていないようですが、一言で言うと

そこじゃない!

という感想です。

「授業時数特例校」実施の内容とその現場で起こることについて解説しちゃいます。

 

「授業時数特例校」って何ができるの?

そもそもこの記事の内容について考えます。

小・中学校では、全ての教科に「標準時数」が決まっています。

例えば、小学校1年生の国語は306時間です。

それぞれ教科ごとに時間が割り振られているのですが、実はこの標準時数というのは、全て足しても1年間分の授業時数に満たないのです。

実際は、もっと多くの授業時数を行っています。

標準時数<実際の授業時数

標準時数というのは、最低この時数はやらないとダメだよという最低ラインなんです。教科によりますが、実際は、標準時数より1割程度多く行っています。

なぜ、このような時数が設定されているのか?

理由は2つ

①日本全国でどこでも同じ教育を受けることができる日本の公教育の内容を担保するため

②災害・感染症などによる臨時休校等に対応できるように余力を残しておくため

日本の義務教育は履修制を採用しているので、何時間その単元・教科を行ったかが大事です。そのため、標準時数はどの学校にいても同じ教育を受けているという大義名分を担保してくれています。

また、実際の授業時数とぴったりにしてしまうと、行事やその準備、そして不慮の事態に柔軟に対応できなくなるので余裕を持たせてあるのです。

なので、割と理にかなった制度であることがわかります。

 

では、この「授業時数特例校」の設置による何が変わるのか?

これは、学校単位で、この標準時数を変更してもいい

という内容なのです。

例えば、先ほど小学校1年生の国語は306時間でしたが、そのうち10時間分を算数に変えてもいいよという内容です。

おそらく申請には、その変更理由とか、減らした時数分の授業時間確保などの計画が盛り込まれるのかもしれませんが、学校の事情や研究内容などに合わせて柔軟に時数の組み替えができるというものです。

これだけ聞くと、

なんだ、柔軟に対応できていいじゃないか。

と思うかもしれません。

日本全国津々浦々、色々な学校があるわけで、学校や地域の特色、児童の実態に合わせて授業を柔軟に組むことができるのは、いいことではないか、というのが世間の反応ではないかと思います。

しかしこの内容にはいくつか、問題点が潜んでいます。

 

任意のはずなのに・・・

今、この段階で文科省としては、「学校の実態に合わせて、申請があれば「特例校」認定をしますよ」というスタンスです。

しかし、これが実際に現場に降りてくる頃にはそのニュアンスが変わっています。

なぜか気がつくと、区市町村各1校選出とか、モデル校設定とかで、学校の意向(場合によっては現場の先生の意向)ではなく、勝手に決まってしまったりするのです。

せっかく文科省が「こんな制度を作りました!」と言ったのに、どの学校もやりませんってなると文科省の面目丸潰れです。そういうことがないように、各都道府県・区市町村の教育委員会はそういう学校を出す方向で動き始めます。

さらに管理職などは、今後の人事などを踏まえて教育委員会の顔色を伺いながら、学校から希望があったという体裁を作るため、現場の実態とは関係なく挙手をするというおかしな現象が起こります。

理由は後付けでいいのです。

申請のための理由が作られて、晴れて来年度から「授業時数特例校」になるのです。

気付きましたか?

文科省としては、学校のために子どものために良かれと思ってやろうと思っていることが、現場に降りてくる頃には必達事項に変わるのです。

 

なぜ文科省は「標準時数変更」に踏み切ったのか?

そもそも論になりますが、正直、あまりにも突然すぎて疑問だらけなのですが、背景にあったのは「コロナ禍」と「学習指導要領改訂」にあったのではと推察します。

去年今年とコロナ禍の影響で、緊急事態宣言が発出されたりして、子どもたちの学びに制限がかかる事態が頻発しました。実はそこでネックになったのが「標準時数」です。

この標準時数の確保のために、昨年度は、夏休みの短縮や行事の削減、土曜授業の実施など、各学校はさまざまな工夫をしてきました。

詰め込みとの批判はありましたが、なんとか休校分の時数を取り戻し、持ち越しなく今年度を迎えています。

しかし、大阪や沖縄などで、再び休校やオンライン授業という事態が発生し、今後コロナが収束しても同じような事態に見舞わられる可能性があることが考えられます。

また、今回未曾有の事態により、皮肉にも、学校側の工夫があれば日数が減っても、授業時数の確保はできるという事例ができたのです。

それが可能なら、多少時数を動かして、その地域・学校に合わせた授業カリキュラムを作ることができる方が、子どもたちの学びに大きく貢献できるのではというのが文科省の考えでしょうか?

どちらにしても、柔軟な対応が可能であるということを証明した形になりました。

 

もう一つは、折しもコロナ禍と重なった「学習指導要領改訂」です。

小学校は昨年から、中学校は今年から学習指導要領が変わりましたが、特に小学校ではプログラミングが必修科したことで、教科横断的なカリキュラムの作成が必要になりました。なぜなら、プログラミングという教科がないからです。

となると、今ある単元を行いつつ、プログラミングと教科を掛け合わせて行うためには、ある程度の時数の確保が必要になります。

それらを可能にするためには、標準時数を動かせる方が都合がいいのです。

 

「標準時数変更」と今後の展開

子どもの実態や地域・学校の特性に合わせて、カリキュラムを柔軟に組むことができることは大きなメリットとなりますが、今後新たな課題に直面するでしょう。

一つ目は、「標準時数」の存在意義です。

先ほど、標準時数とは日本全国どこでも同じ時数を行うことで公教育を担保している、と言いましたが、まさにこの前提が崩れるわけです。

もちろん、変更できる時数には上限がありますが、これがOKということになると、日本の公教育の根幹を揺るがすことになります。

今後ますます「標準時数」が形骸化してくるのではないでしょうか?

もう一つは、現場の負担です。

それでなくても、今学校現場は戦場並みに大変です。

この時数変更が現場の先生から持ち上がりやっていこうとなるのなら、なんの問題もないのですが、まずそれはないでしょう。

となるとトップダウンで下りてきた内容(大して必要性を感じていないこと)の計画を立てる実働部隊は現場の先生です。

今この時期に、現場の先生にこんな内容を下さなくてもいいのではないかというのが正直な感想です。

もしかしたら、前々から計画していたのかもしれませんが、時期が良くないと思います。

結局、時期を間違えず、適切な形で行えば子どもの教育にプラスの影響をもたらすかもしれない政策も、台無しになってしまうという残念な結果です。

なので、この記事の感想は

そこじゃない!

と言わざるを得ないのです。

 

まとめ

今回は、私の推測がかなりあるので、実際運用してみてどんな結果が出てくるかわかりませんが、今文科省が取り組んでもらいたいのは、新しい試みではなくて、現場のゆとりを作ることではないかと思っています。

何をするにも、現場が伸び伸びとできる雰囲気がなければ、どんな立派な政策も「絵に描いた餅」です。実際に指導する先生の余力なくして、新しいことは積み上がりません。

基本的に、教育の現場は、ビルド&クラッシュのクラッシュが苦手で、ビルドの積み重ねが多いです。

そりゃ、ハンバーガーもシングルよりダブルの方がワクワクしますが、かといって10段重ねをした時に、食べ方に困るように重ねればいいってものではありません。

今後の経緯は見守っていきたいと思いますが、現場を苦しめて大した成果の上がらない愚策とならないように祈るばかりです。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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