池江璃花子選手の件と大臣の発言の根底にあるもの

こんにちは。春名佑紀です。
最初のブログ記事でこのテーマはちょっと姑息な気がしましたが、
気が向いたので、書いてみます。

昨日の池江璃花子選手の白血病の告白は日本のみならず、世界中を驚かせました。
同時に、彼女が多くの人から愛されている存在だということも実感しました。
同じ日本人として、うらやましくもありますが、誇らしい限りです。

一方でやらかしちゃったのは大臣ですね。
彼の今までの言動を見るに、決して不思議ではないのですが、正直国の代表としての地位にある人間としては恥ずかしくて仕方ありません。インタビューの様子を見る限り、記者がミスリードしたようにも感じましたし、まあ、ここで彼の資質を問うつもりはありません。
が、実はこのやり取りを見ていると、国や東京都が抱えているオリンピックへの問題点が浮かんできます。

「オリパラ教育」の真意

私が学校にいたころから、不思議に感じていたことの一つに「オリパラ教育」というものがあります。わざわざ冊子まで作って研修までやりました。昨年は、わざわざクラス単位でマスコットキャラクターの投票までやりました。
東京都の公立学校では、オリンピックを盛り上げようとあの手この手を使って、授業にオリパラを取り入れようとしています。

オリンピックが自国で開催されることの素晴らしさ、アスリートの努力と記録、みんなで一丸となってオリンピックを成功させよう!!という雰囲気作りを一生懸命したいということが伝わってきました。
それは裏返せば、オリンピックを自国で開催することがそれほど魅力的に感じていない人もいるからです。
そして、前回の「東京オリンピック」の盛り上がりを知っている世代からすれば、さらに危機感となるのです。

私は生まれていなかったので、「東京オリンピック」の話はテレビでしか聞いていませんが、応援のために学校が休校になったとか・・・。一家に一台あるかないかのテレビの前にかじりついてみんなで応援したという昔話を聞いていると、現在はそれほどの盛り上がりはないように感じます。

さらに根強いのが、各地で起こる災害の復旧が終わっていないのに、何億もの税金が使われている現状を考えると、国としてのお金の使い道として正しいのか?という考え。

何か行う際に賛否があるのは当然ですが、オリンピック後に大不況が起こるという予測もあり、日本の先行きが本当に心配です。

という状況を考えると、学校における「オリパラ教育」は、オリンピック・パラリンピックを盛り上げて、多くの学生にボランティアに参加してもらい、外国人交流を盛んにするために英語を学んで、とにかくみんなでがんばろうぜ!!という雰囲気作りをしているということにも見えます。
まずは子供からってやつです。

話は逸れますが、アスリートの苦悩と挫折と記録などはよく道徳の題材に使われます。
美談とまでは言いませんが、たまに内容を見ていると若干洗脳にならないのかと首をかしげたくなるようなものもあります。

このような子どものうちからの教育という名の刷り込みはあまり好きではありません。

でも、それだけ、日本全体として「オリンピックか・・・別に・・・」という雰囲気が見られるのでしょう。国や東京都はそれを盛り上げるためにあの手この手でイベントを仕掛けてきます。
その中で、メダル候補とされる選手のこの1年半の活躍は必要不可欠です。

メダル最有力とされる池江選手の病気は、盛り上げていきたい側からするととても大きな痛手となるわけです。

そもそも論になりますが、オリンピック・パラリンピックとは何なのか?という教育の方が必要だと思うんですけどね。もちろん、そういう話はするんですが、それはオリンピックというものも意義を後世にどう伝えていくかという話であって、国の威信のためのものではないことを強く願うばかりです。

いまだに教育には、こういう刷り込みの要素はあると思います。
学校が様々な批判にさらされていますが、こういうことも含めて、
これからの学校を考える、教育を考える岐路に立っていると私は思います。

なんか、最初の記事にしては面白くないな。
ちょっとまじめすぎた。

皆さんの人生を応援しています!

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