愛知県の小学6年生の事件について

教育全般

こんにちは。春名佑紀です。

この事件についてのコメントを書くかどうか迷ったのですが、
ちょっと書いてみます。

ちょっと衝撃で最初は言葉になりませんでした。
卒業を控えた6年生が、しかも二人で一緒に自殺をするなんて。
子をもつ親御さんや教育関係者は当然ですが、一般の方にはもショッキングな事件です。

どんな経緯で、どんな話を二人でして、なぜその結論になったのか?
今となっては、全てを解明することはできませんが、
そうなる前に、誰か身近な大人に声をかけることはできなかったのかと
残念でなりません。

そして、同時のこの事件は、たまたま愛知県の小学校で起こっただけで、
どの地域のどの学校で起こっても、おかしくないということです。

こういう事件が起こると、この子どもたちやその家庭、学校などの状況を検証を始めます。
もちろん、それは大事なことです。
検証をして、再発防止に役に立てる必要はあります。
そこで出てきた結論を全国の学校で共有し、子どもたちとの関係を見直し、
同じことが起こらないようにしなければなりません。

でも、ここで得た結論はあくまでも、あとから付けたものだし、
この子達の真実ではありません。
しかも、仮に全く同じ状況があったとしても、同じことが起こるとは限らないし、
全く違う状況から、同じような事態が起こる可能性だってあります。

二人の自殺の原因が何であったのか、詳細はわかりません。
いじめだったのかもしれないし、
中学校への不安だったかもしれない。
将来への絶望かもしれない。
なんだったのかわからないけど、
少なくとも、小学校6年生が、これから生きるよりも死んでしまおうと思う世界しか、
彼女たちは描けなかったということです。

これからを生きる子供たちに何が必要なのか時折考えるのですが、
自分で自分の人生を切り開く力だと思っています。

言葉で書くとかなり安っぽい言葉になってしまいますが、
きっと彼女たちには、これからあと何十年も続く人生に希望がもてなかったのだと思います。
これから楽しいことや、うれしいことや幸せなことがあるなんて思えなかったのだと思うのです。

でも、それって自分次第でどうか変えられるとも思えなかったんだと思うんです。

人生は変えられない。
未来は変わらない。

素敵な未来があること、それを自分で創造することを
描けなかったのでしょう。

教員の立場から言わせていただければ、
言葉だけでなく、将来はわくわくするものだということを
自分が体現者となって伝えていきたいと思ってしまいます。
もちろん楽しいことばかりじゃんありませんが、
こんないいことも、こんな楽しいこともあるよ、というような。

きっと、今の先生たちはつらそうに見えるんですよ。
そりゃ、必死ですからね。

自分で自分の人生を切り開くこと
自分の人生に興味をもつこと
自分の人生にコミットすること

小学校高学年くらいには、はっきりとでなくても伝える術はあると思います。

自分の人生の主人公は自分という意識をもてる社会にしていきたいですよね。

勝手な話、失礼遺体しました。

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