学級経営講座㉗ 集団の育て方

学級経営講座

こんにちは。春名佑紀です。

前回は、集団での役割についてお話をしました。
今回は、その集団にどうアプローチをしていくかというお話です。

ずばり、「集団を育てる方法」について考えていきましょう。

 

学級が安定するとき・荒れるとき

まずは、集団を育てる意味について考えます。
前回の記事でもお話しましたが、児童の問題行動は、個別の特性に由来するものももちろんありますが、「その集団に属しているから表面化する」と考えます。

その問題行動を減らしていくには、「本人の意識」と「周りの環境」の2つが必要となるのです。

個別への対応は、「本人の意識」を変えていくアプローチとしては有効です。

しかし、そこには「周りの環境」もその児童を受け入れる状態にしていく必要があります。

そこで必要なのは、「学級の安定」です。

 

では、学級が安定しているとき、その学級には何があるのでしょうか?

 

 

それは、

「秩序」と 「居場所」

です。

 

秩序とは、その集団で通用するルールというとわかりやすいかもしれません。

学級の中でみんなが理解し、守ることを約束しているものです。

例えば、これを教員が作ることもできます。しかし、これを浸透させるには、ある程度教師の力量が必要です。子どもたちからすれば、どんな内容のものであれ、「一方的に押しつけられたもの」と言えます。それをトップダウンで浸透させるには、それを抑え込む力が必要です。

先に結論を言ってしまうと、この秩序を子どもたちに作らせることが最も大事なのです。

発達段階にもよりますが、できればその秩序をみんなが守れるようにするための手立ても自分たちで考えられるとさらにいいと思います。

そして、その集団に「居場所」があること。

所属感とも言い換えられますが、その集団に自分がいることを許されていると、子どもが感じられることが学級の安定につながります。

細かい話になりますが、学級会などで意見を取りまとめた後、多数決を取ったりしますが、これは少数の意見を切り捨てることになるので、広い意味での「疎外感」を生みます。

多数決問題は、学級会の記事に載っているかもしれませんが、また学級会特集でまとめたいと思います。

 

前回の記事で、集団に属すると役割が生まれる話をしましたが、役割が固定化することでこの疎外感が増大することがあります。

集団での居場所を確保するために、あえて疎外感を感じる役割を選ばざるを得ないというのは何とも皮肉な話です。

役割の固定化を防ぐことは、安心できる「居場所」の確保にもつながります。

この安心感が、集団にある「秩序」を守る行動にもつながります。

 

この反対の状態が「学級が荒れているとき」です。

秩序が乱れたときというのは、クラスで決められたルールが守られていないということ。

そうなると、守っている児童の居場所は揺らぎます。それでも踏みとどまり秩序を守ろうとする子と守らない方へと傾倒していく子、傍観する子、被害を訴える子、とそれぞれの位置取りを始めて、集団はさらに混沌をし始めます。

これが学級が荒れ始める最初の予兆です。

では、この学級での秩序はどのように形成していけばいいのでしょうか。

 

学級の秩序をどのように守るか

先程の章でも少し触れましたが、学級での秩序を作る方法は大きく分けると2つです。

先生が作るか

児童が作るか

 

このように書くと、

「児童に任せっきりにするのか!」

と批判が来そうですが、当たり前ですが、別に児童に作らせてあとはほったらかしというわけではありません。

児童に作らせるのには理由があります。

1つは、当事者意識をもたせること

自分たちで決めたルールを守るも、破るも、改正するも自分たちで責任をもちましょうということです。

トップダウンにするとこれができません。

当事者意識をもたせるには、自分たちで作ることが必要です。

2つめには、制約を意識させること

子どもたちに作らせるといっても、ある程度の制約は必要です。

例えば、学校のルールを無視して行ったり、他の学級や学年に迷惑をかけるようなものはできませんので、作る際はそのあたりを意識してもらいます。

また、よくありがちなのは、最初から気合が入りまくって、自分たちでの守れないルールを作るようなこともあります。この場合、「さて、どうする?」という二の矢を打つにはもってこいの状況なのですが、そういうことも含めて、

自分たちに何ができるかという意識をもたせて考えさせることがとても重要です。

そこにさらなる当事者意識が生まれます。

3つ目は、自主性を感じさせるということ。

子どもたちは「自分たちでやる」という経験を好みます。

特に最近の子どもたちは、自分で何かをしたという経験が乏しいためか、「自分たちで作り上げた」という経験に飢えているように感じます。

本当は、担任や周りの大人の手を借りてやっているのですが、ある程度は「自分たちで」という体験を積み重ねることは、今学習においても重要な「自主性」を引き出すことに繋がります。

 

では、担任としてはどのようなスタンスが必要になるでしょうか。

ここでいう「学級の秩序」は、学期の最初に決める「学級目標」になります。

もちろん、「学級目標」はルールではないので、実際のルールは、その後決まっていくことになりますが、常に

「この学級目標を達成させるために、今何をする必要があるのか?」

と子どもたちに問いかけ続けます。

時には、教師からの助言や援助が必要になるでしょうが、自分たちで難問を乗り越えたという経験は、何物にも代えがたい経験として児童に心に積みあがっていきます。

理想論に聞こえるかもしれませんが、こういう成功体験は、子どもたちに自信を与え、また次へのステップへと導いてくれます。

きっといろいろ知ってしまった大人よりも、やはり子どもの方が純粋なのだなと感じる瞬間です。

なので、担任としてのスタンスはあくまでも「助言者」もしくは「アドバイザー」

子どもたちになるべく手を貸さず、ぐっとこらえて我慢します。

もちろん、その前には撒き餌をさんざんまき散らしますし、子どもの動きを予測し、いくつも網を張る準備はしておきますが、直接は手を出さず、口を挟まず、ただ児童の動きを目を皿のようにして見ていきます。

このスタンスは、学級活動の担任のポジションです。

この手を出すタイミングは、教師自身が経験を重ねないとなかなか図りにくく、私自身も「あ~、早かった。」と反省することもあります。

この見極めは、自分との勝負だし、もちろん取り返しのつかないことになっても仕方ないので、まずはやってみて経験を積んでください。

このあたりの話は、また「学級活動編」で詳しく話していきます。

(近日?学級活動についてのレポートを作成予定です。来年度の学級次第ですが・・・。)

 

問題が起こったら集団に返す

ケースバイケースですが、基本、学級で起こったことで学級の秩序を乱すような場合、その問題は学級に返します。

例えば、学級の中で友達に暴言を吐く児童がいたとします。

ここで、暴言を吐く児童をつるし上げにしては全く意味がありません。

そこで学級全体に対して、なぜ、その児童が暴言を吐くのかを考えさせます。

もちろん、その児童にも理由は聞いてみますが、表面的なことは言えても、本人も意識していないものがあるかもしれません。

他の児童が代弁してくれたりすることで、この児童は自分のことをわかってくれている、もしくは自分を同じ気持ちの人がいることを認識できます。

では、そう思ったときにどう行動しているのか、

どういう言葉が人を傷つけるのか、

暴言を吐かずに、自分の気持ちを伝えるにはどうするか、

それぞれのアイデアを出し合い、一つ一つ実践を試みてみます。

そしてその後、その児童の頑張りを学級全体で見守っていきます。

児童たちは、他の友達の様子を見ることで、自分の振り返りにもなるわけです。

そうなる仕掛けは担任が作っている必要があります。

帰りの会や給食準備中などを利用し、振り返りの時間を作るなどして、お互いに意識を向ける習慣を身に付けることが、集団の意識を深め、所属感を高めていける1つの方法になるのではないかと思います。

 

いかがでしたか。

ちょっと盛沢山だったので話がブレてしまったように感じます。

今日の内容の中心となるのは「学級自治」、すなわり学級活動の活用です。

私は学級活動の充実を学級経営の柱としているので、この視点から話をさせていただきました。

もし、ご意見ご質問があればお問い合わせフォームよりお願いいたします。

 

あなたの教員生活を応援しています。

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