子どもたちの「生きる力」① 確かな学力とは

教育全般

こんにちは。春名佑紀です。

昨日は、これからの子どもたちに身に付ける力として

「生きる力」

というキーワードを提示しました。
これは、文科省が学習指導要領の中で説明しているものです。

それをさらに具体的に掘り下げてしまおうというシリーズです。

第1回は

「確かな学力」

上手い言葉ですよね。
「確かな学力」と言われて、確かに学力はしっかり身に付いた方がいいですよね。

ちなみに、文科省でもこの「確かな学力」とはと定義していますが、

「基礎的な知識及び技能の習得」
「これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力」
「主体的に学習に取り組む態度」

だそうです。

さて、ほとんどの方が小学校を卒業されていると思いますが、
これら「確かな学力」は身についていますか?

日本人的な返答だと、「半分くらいは・・・」なんて謙遜してお答えするのかもしれませんね。

そもそも、「半分」って何の半分?ってなり、
人によって全くこの解釈ではよくわかりません。

 

まさにこれです!

 

私たちは、小学校卒業までにこれは必ず身に付けて卒業するという基準を知らずにいるのです。
ほとんどの人が小学校を卒業しているのにも関わらず。

例えば、

1006文字の漢字を全部読み書きできますか?
整数・小数・分数の四則演算は全てできますか?
三角形の面積を求めることはできますか?
47都道府県は全て漢字で書けますか?

これが全てできる人って実はそれほど多くはありません。
絶対にみんなやってるはずですよね。

しかもこれらは抜粋で、他の教科を入れるともっとありますよね。

スキル面でいったら、
跳び箱は跳べますか?
逆上がりはできますか?
倒立はできますか?
並縫いはできますか?
ボタンは付けられますか?
ゆで卵は作れますか?
リコーダーは吹けますか?
鍵盤ハーモニカは?

また、来年度から完全実施される「アクティブラーニング」(現在はこの言葉では言われませんが。)
などを通して行われる学習方法を通して、学び方を学ぶこともできます。
理科や算数などは、論理的思考力を身に付けることができるとされる科目です。

今度ここに英語とプログラミングが入ります。

とまあ、挙げるときりがありませんが、
とにかく、私たちは学校で様々なことを学んでいます。

では、最初に戻りますが、

「確かな学力」を身に付けて私たちは学校を卒業したのでしょうか?

 

回りくどい言い方をしましたが、
絶対これだけは身に付けて小学校を卒業したという基準となるものはないんです。

では、日本の子どもたちは「確かな学力」をもっているのでしょうか?

先程、文科省が定義した「確かな学力」の3つは、観点別評価でも使われる項目です。
実はこの3つの関係には、学力を定義付ける大切なものがあります。

それは、

「基礎的な知識及び技能の習得」

がないと

「これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力」

を発揮できないということ。

さらに、そもそも

「主体的に学習に取り組む態度」

がなければ、

「基礎的な知識及び技能の習得」

はなかなかできないということです。

ここでいう
「基礎的な知識及び技能の習得」
とは、いわゆる暗記をするものです。

専門的なことをいうと、
算数は全て繋がっています。
算数の基本は
「既習内容使って、新しい問題を解く」
ことができる科目です。
裏を返せば、
既習内容ができいないと、次の新しい単元の内容を学ぶことが困難になる科目です。

例えば、掛け算の九九がわからないと割り算はできません。
長方形の面積が解けないと平行四辺形の面積は解けません。

公式を覚えたり、解き方を学んだりしたその蓄積が次の問題につながるようにできています。
算数に関しては、この流れが中学の数学へと繋がります。

漢字についても、ただ1006文字を覚えていくのでは大変ですが、
語彙を増やしたり、音読を通して耳で覚えたり、
漢字の成り立ちを知って関連する漢字を広げていったりと、
全ての学習は繋がっています。

そこにはどうしても「覚える」という過程が必要です。

いつしか日本の教育では、詰め込み式の学習方法を否定する風潮がありました。
それが顕著なのは英語です。

日本人は、英語の単語や文法の知識はあるけれど、会話ができないという課題がありました。
そこで、現在では小学校にまで幅を広げたり、中学校でも文法よりも会話重視の授業への変わりました。
でも、どう考えても、英語を話すなら単語を知らないと話せないし、
会話をしながら単語を覚えていくなどという高等テクニックができるためには、
毎日英語で話すか、相当物覚えのいい頭がなければできません。

思考力・判断力・表現力

を伸ばし、育てるには、

「基礎的な知識及び技能の習得」

は欠かせないものです。

 

ここでネックになるのが、
暗記や覚えるという学習には

個人差が生まれる

ということです。

乱暴な言い方をするならば、
暗記や覚えるということが苦手な児童の場合、
本来もっている思考力や表現力をなかなか発揮できない可能性があるということです。

 

極端な話ですが、
確かな学力というならば、

最低限、これは必ず覚えて(習得して)小学校を卒業させるという基準を設けるべきです。

現状、今学校で行っている学習の全てを習得してから小学校卒業というのは現実的に不可能です。
体感としては5割、下手をすると8割くらいはこぼれていると考えます。

日本の教育、学習内容はとても高度で系統だっていて素晴らしいものです。
でも、それをすべての児童が習得できず、
ただ、「勉強ができない」というコンプレックスを生み出すだけなら意味がありません。

ゆとり教育を復活させようと思っているわけでもないのですが、
日本で教育を受けたのなら、ここまでの知識・技能は全ての子どもたちが身に付けていますという

「確かな学力」

があってもいいのではと思います。

 

話の最初に戻りますと、
これからの子どもたちが生きていくのに必要な学力って
実はそれほど多くなくて、
漢字も今は、電子辞書やスマホを見ればわかるし、
計算も電卓があればできます。
実際、消費税の計算とか暗算できる人それほどいませんよね。
お釣りの計算はできるいいかなと思うし、
都道府県は、書けなくても47個全て言えればいいのかなあと思います。
単位については知っていた方がいいので、ここは重点的に行うとか、
漢字も1006文字全て書けなくても、読めるまでは頑張るとか。

実際に社会に出てこれは必要ってものがあると思うんです。
そういうものは何が何でも習得させ、
それこそ、

「主体的に学習に取り組む態度」

を身に付けてあげれば、あとは自分から発展的な学習へと取り組んでいく子はいると思います。

 

今一度、子どもたちに学ばせる学習内容の確認が必要なのではと思います。

 

あなたはどう思いますか?
ご意見・ご批判あればぜひ伺いたいです。

今日も、読んでいただきありがとうございました。

次回は、「豊かな心」です。

 

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