「不登校」から考える自由と教育

教育全般

こんにちは。春名佑紀です。

先日、久しぶりに元の学校の先生たちとお話する機会がありました。
とても尊敬する先生たちで、これを機にといろいろな話を聞かせていただきました。

その中でテーマになったのが、「不登校」

現在、「不登校」は年々増えている傾向にあります。
これは私の感覚値ですが、増えているだけでなく、低年齢化が進んでいるとも思えます。

増えていることには、様々な要因があると考えますが、社会が「不登校」を受け入れてきていることも挙げられると思います。
別に不登校であっても、社会に出て立派に生きている人はたくさんいます。
学校に行かないことは、それほど特別なことではないという世間の風潮も重なって、

「不登校」⇒学校へ行けるようにする

と、思わない保護者の方も増えてきたと思います。

一方で、学校側はというと、「不登校」についてはいずれ「学校に通えるようにする」というのが目標になっていて、そのための働きかけを行おうとします。

ここには、子ども自身の「学校へ行きたくない」という気持ちをどこまで尊重するべきかという問題があります。

そもそも、「不登校」になる経緯は様々です。

一番多いのは、いじめなどが絡む友達や先輩後輩などの人間関係でしょう。
この場合、子どもの命に関わる事態に発展する可能性があるので、安易に学校へ行こうなどとは言えません。

もちろん、学校は、いじめについての実態を調査し、改善の方向へと進めていかなくてはなりませんが、当該の子どもが学校に行けないというなら、ここは時間をかけるべきでしょう。


いじめについては、話が長くなりそうなので一旦話を切ります。

さて、一番厄介な理由が「なんとなく」です。

「なんとなく」というとかなり乱暴な言い方ですが、
特定の理由ではなく、との時々によって理由がコロコロ変わる場合です。

例えば、
今日の体育で鉄棒があるから
給食できらいなものが出るから
昨日の宿題が終わっていないから
兄弟(親子)げんかをして機嫌が悪いから

※実際にあった事例です。

聞けば、「それが理由!?」と思うものもありまし、中には行きたくない理由をはっきり言えないことも多いです。

一昔前なら、
「そんな、わがまま通用しません!とっとと学校へ行きなさい!!!」
と、家から追い出されるパターンですが、
現在では、保護者からこのような理由で「今日は休みます」と連絡が来ることも少なくなくありません。

さて、皆さんはこのような理由についてどう思いますか?

この答えはかなり人によって分かれるでしょう。

多くの教員は、
「こんなことで学校に行きたくないというわがままを聞いていたら、将来、嫌なことをすぐに逃げる堪え性のない大人になってしまう。それでいいの?」
という論調になるだろう。

確かにこれは正論ですよね。
よく、「逃げ癖」と言われますが、嫌なことから逃げることばかりを覚えて、楽な方にばかり行っていると、いつか痛い目を見るというのが、昔からの教えです。
特に、子供時代や学生時代は、困難にも立ち向かって・・・なんて言いますから、嫌だから駄々をこねて自分の都合のいいように人を動かすということを小さい頃からするべきでないという考え方は当然うなずけます。

学校は集団行動を基本としているので、1人のわがままよりも集団の統制を優先することを学ばせます。これは、社会が集団で動いている以上、知っておかなくてはならないことです。

でも、全ての子どもが、そうである必要はないのかもしれません。

親や社会には、子どもたちに教育を施す義務があります。

でも、子どもには教育を受ける義務はありません。
あくまでも権利です。

それを行使するかどうかは「子どもの自由」です。
そして、どんな子どもに育ってほしいかその方針を決めるのは保護者です。

ただ、私が母親なら、嫌なことからすぐに逃げ出すような子どもにはなってほしくないなと思うので、理由によっては学校に行け!と追い出すでしょう。


ただ、「学校は行かなくてはならない場所」という考え方はちょっと古臭くナンセンスなのかもしれません。

今「不登校」という現象があぶりだすのは、社会の変化と学校の在り方の隔たりではないでしょうか。


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