新採先生応援企画③ 教員以外の友達と会おう

教員向け

こんにちは。春名佑紀です。

新採先生応援企画第3弾です。では今日もいってみましょう。

割が

教員以外の友達に会おう

第1弾、第2弾は学校に関わる話でしたが、今回はちょっと毛色の違うお話です。

 

恐らく、新採の方の場合、大学などでの様々な友達がいると思います。
もちろん、学部学科などの友達だと、同じ先生になっている人もいると思いますが、今回はあえて「教員でない友達」としました。

これは正直諸刃の部分もあるのですが、あえてというべき、挑戦的に勧めていきます。

最も大きな理由は、

学校がとても狭いコミュニティーだからです。

まずは人数。

とにかく関わる人(働く側の人間)がそれほど多くありません。

配属される学校の規模にもよりますが、どんなに大規模校でも教員の数は50人前後です。事務さんや用務員さんなどを加えても100人規模の学校はほぼないでしょう。

民間の場合でも少人数の経営をしているところもあり、そういう会社にも言えることですが、とにかく狭い中なので、人間関係が濃密になりがちです。

そして、仕事内容。

そこで従事している人のほとんどが「同じ仕事」をしている人です。

民会企業の場合、このような組織は結構稀なパターンで、強いて似たような形を挙げるのであれば、例えば社員の9割が営業職という会社があるかもしれません。しかし、こういう会社の場合、営業同士が共同で仕事をすることはなく、個々に目標に向かって働くようなスタイルになりがちなので、仕事での絡みは多くないでしょう。

学校の場合、少人数経営な上、同じ仕事をしている人たち同士が、割と頻繁に接点をもつし、すり合わせとかしないといけないし、足並み揃えようなんで話なるので、とにかく同職場での人とのかかわりが濃密であり、案外これがストレスの原因になります。

もちろん、中には気が合う人もいます。
いい人もたくさんいますが、自由度が少ないうえに、組む人間は1年間必ず固定されるので、人の良さだけではなかなか厳しいものがあります。
当然ですが、その中には気が合わない人や、考え方が全く違う人もいます。

そういう人たちとの打ち合わせは、どんな内容でも折り合いがつかないという事態に陥ることがあります。

もう少し、批判的な書き方をすると、「折り合いをつける」ということをしてきていない人たちが多くいるのも学校の特徴といえます。

 

以前、教員間のいじめがニュースになりましたが、あれもその悪しき習慣が招いたものだと思います。

学校は割と年上の先生を立てるという土台が色濃く残る世界です。
それはさながら、警察官や自衛隊のようなところもあるかもしれません。でも、警察官や自衛隊と学校が違うのは、指揮命令系統がそれほど重視される仕事ではないということです。

警察や自衛隊は基本、ヒラの人が自分で判断できるという範囲は多くはありません。
法律や規律に則って行動します。そのため、指揮命令系統がはっきりしていないと有事の際におかしなことになっていまします。

一方、学校はそこまでの縛りは強くないはずですが、年功序列がとても重視されます。
毒を吐くと、年功序列は能力や実績とは関係なく、様々な影響力だけは発揮する場合があるのです。

まあ、年功だけでなく、ただ「声が大きい」というだけで影響力を発動する方もいらっしゃいますが、これを若手が担うことは少ないでしょう。

代々の歴史の中で、「年上の人が年下の人を指導する」という形は、「年上の人の意見に年下が従う」というものを含んで受け継がれています。

ですから、良い意見や新しい考えを取り入れて改善していくということがなかなか起こりません。

学校の進め方が変わるときがありますが、それは声を上げる人間が変わっただけの話で、「話し合ってそうなった」というものではない場合がほどんどです。

そこで単純に、折衷案とか折り合いをつけるとか話し合って新しいものを生み出すとかいう経験に乏しいため、結局ある程度経験を重ねるまでは、自分の考えが通ることは難しくなるのです。

もちろん、新採や若手教員が新しいアイデアをバンバン出して、それが現場に生きるかどうかはわかりませんし、そこまで攻めて提案していくようなアグレッシブな人がどれだけいるかは未知数ですが、常に人の意見に乗っかって活動していくのは、何気にストレスになっていきます。

なんか、悪口になってしまったので、ここらへんでこの話を切ろうと思いますが、何が言いたいかというと、学校の中では、足並みをそろえたり、すり合わせをしたりということが案外大変であるにも関わらず、それをしなければならない場面が多いということです。

 

もちろん、自分で考えず言われたことを「はい、はい。」とやる方が楽なときもありますけどね。

 

こういうことが続くと、人によっては「無力感」を感じることがあると思います。

当然、ストレスも感じるでしょう。

そこで最初の話に戻りますが、学校という狭いコミュニティーでばかりいると、自分の視野も狭くなります。

なので、自分とは違う世界に行った友達と会い、近況を聞いておくことはとても大切です。

学校は上の事例だけでなく、かなり特殊な世界です。
これは、転職をして様々な会社や業界にいた私が思うのですから、それほど間違っていないと思います。

そんな世界にずっといると、視野だけでなく、考え方まで狭くなってしまいます。

教員のプロとして、その世界にどっぷり浸かることも大事ですが、これからを担う子どもたちを教育する立場の人間が、視野も考え方も狭く、多様性を受け入れられないというのはいかがなものかと思います。

実際に、この「多様性を受け入れる」ことが今の学校の課題でもあります。

そのためには、まずは身近なところで、違う世界の友達との接点は、ぜひもっていただきたいのです。大学を卒業しすぐに先生になる方ならなおさら、様々な世界との接点はもっておくべきです。

先程、「諸刃」と話したのは、その話を聞いて、

「先生を辞めて、違う業界に就職しよう!」

と思う人がいるかもしれないという意味で諸刃なところがあるといいましたが、それもその人の人生なので私はいいと思います。

そして違う世界を経験した方がまた、学校現場に戻ってきて違う視点から教育や学校を変える原動力になってもいいと思うのです。

もちろん、そこまでなくても、学校だけが自分の世界にならないようにしてもらいたいと思います。

学校で学ぶ子どもたちのほとんどは、学校という世界をいずれ巣立ち、先生たちの知らない世界に羽ばたいていくのですから。

 

今回はちょっと学校の批判のような内容でしたが、私が考える「学校の課題」と認識してください。これがその解決策になるわけではありませんが、若い方が自分の身を守る方法の一つとして、ぜひ持っていてほしい視点です。

参考にしてみてください。

 

さて、新採企画第4弾は『先輩の先生の授業を必ず見に行こう!』

です。再び学校へ舞台を戻し、心がまえ的な話をします。

皆さんの新しい教員生活を応援しています。
今日もありがとうございました。

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