こんにちは。春名佑紀です。
新採応援企画も最終回となりました。
寂しいものです。
でも、きっとこの記事を全て読んでくださった先生たちには、明るい教員生活が待っていることでしょう。私はいつまでもいつまでも応援しています!!
とりあえず、最終回のテーマはこちら!!
子どもの前では絶対泣かない!
結論から言います。
涙を流していい場面は3つだけです。
それ以外場面では、絶対泣いてはいけません。
(涙を見せていい場面については後ほど説明します。)
ここでいう泣いてはいけないというのは、
学級経営がうまくいかない、とか
子どもたちをうまく指導できない、とか
子どもたちから心無いことを言われた・された、とか
などの
悲しい出来事
悔しい出来事
ふがいない出来事
が起こったときの涙の話です。
おそらく、なんとなくそりゃそうだろうと思うのではないでしょうか?
では、なぜだか明確に説明できますか?
泣いたら子どもに舐められるから?
威厳を見せられないから?
情けないから?
う~~~ん~~~~~~~
まあ、それもないわけではありませんが、一番の理由は、
子どもと先生の間に善悪という境界線をもたらしてしまう
からです。
ちょっと説明がいると思うので、長くなりますがお付き合いください。
よく、子ども同士で泣いた泣かせたという場合、初見では泣かせた側が悪さをし、泣いている側はその被害者という構図になります。
しかし、よくよく話を聞いてみると、泣いている側が実は仕掛けてきたり、しつこくしていたりといったことが判明することがあります。
これは、子ども同士なら頻繁にあることで、一概に泣いている側が被害者かどうかわかりません。
しかも、「すぐに泣く」という技を使って同情を引くことを覚えている子もいますので、こういう場合の仲裁は、おとなでも気を使いますよね。
では、これが大人と子どもだった場合はどうでしょう。
これも、前後関係を確認するでしょうが、子ども相手に大人が泣いていた場合、
子どもが何かをして大人を悲しませた
という解釈になります。
子ども同士と違って、ちょっとやそっとのことでは大人が泣くとことはあまりないだろうと思っているので、子どもと大人の関係になると
子どもが何か(悪いこと)をした
となってしまうのです。
これは、実際にどうだったかではなく、一般的な解釈です。
そして、これは子ども側に大きなインパクトを与えてしまうのです。
例えば、子どもが何かをした際に、通常は叱ったり怒ったりという行動をとっていたとします。これが急に「泣く」という行動に変わったら、子どもはかなり驚くと思います。
そして、自分がとんでもないことをやらかしたと思うでしょう。
つまり、子どもにとって先生の涙が
自分をとんでもなく悪い奴
という解釈に変えてしまうのです。
おそらく、子ども側も何かしらやらかしていると思うので、ある程度反省は必要だというご意見もあると思いますが、ここでの効果は一時的だと考えた方がいいでしょう。
それ以上に、
先生=善
子ども=悪
という対立構造を作ってしまうことの方がその後の関係性に大きく影響します。
さらに、ややこしくしてしまうのが、
学級という集団を相手にしている
という点です。
先程の話が2者間によるものなら、フォローもできますし、関係を改善するきっかけになる可能性がないわけではありません。
仮に、「子ども対大人」という関係が
「子ども対親」というものだと、全く状況が変わってくるでしょう。
しかし、ここでは子ども一人を相手にしているのではなく、
集団を相手にしています。
先生を泣かせたのが一人の子どもの言動だとしても、それをクラスの子どもたちが見ていたとしたら、その影響は学級に波及します。
ある子は、先生の味方し、その子どもをひどく非難するでしょう。
ある子は、泣かせた子どもを冷やかすでしょう。
またある子は、心の中で先生に対して失望するでしょう。
またある子は、泣かせた子どもをひそかにすごいと慕うかもしれません。
こうして、子どもと先生との間の対立構造をより明確にしてしまうのです。
この対立構造は、学級が崩れていく際に起こる現象です。
ちなみに、対立構造そのものは、毎日毎日叱っていても起こりますが、
「泣く」という行為がこの対立構造を一気に加速させてしまうのです。
もちろん、1回泣いたら即学級崩壊になるとは言いません。
しかし、それまで学級がどのような変遷を辿ってきたかによってその涙は、先生の「敗北宣言」になりなってしまうかもしれないのです。
極端にいうと、
「私はこんなにみんなのためにやっているのに、わかってくれない悪い子どもたち」
といっているようなものです。
先生自ら対立させるような構造を作ってしまうと、その後の学級経営はさらに厳しいものになるでしょう。
この「善悪の対立構造」の話は、いつか学級経営講座でも話をしていきたいテーマの一つで、かなり根が深く、さらにこの構造を見つめなおしていくと、学級崩壊を防ぐ手立てになると思っているほど大切な内容です。
説明が長くなってしまいましたが、とにかく子どもの前に泣くことは決してうまい方向には行きません。
どんなにつらくても、悲しくても、悔しくても、
絶対で教室で子どもの前では泣かないでください。
では、最初の話に戻りますが、どんな時なら泣いてもいいのでしょうか?
場面は3つ。
1.お別れの時
主に3月でしょうか。卒業や進級などお別れするときには泣いてもいいし、子どもによってはもらい泣きする子もいるでしょう。
逆に、子どもが泣いているのを見てこちらがもらい泣きすることもあるかもしれません。
別にわざと泣く必要はありませんが、こういう時は我慢しなくてもいいかなと思います。
あと、番外編として、離任式で異動された先生と子どもの再会シーンなどもここにいれておきましょう。
2.物語や実話など感動的な話を題材にした時
よく、低学年だと読み聞かせをしますが、絵本は侮れません。
かなり感動的な話がさらっと描かれていることがあります。こういう本を読み聞かせしていると不意打ちを食らうことがあります。
また、高学年の道徳で「生命尊重」を扱う時、たまに涙腺崩壊の話に出くわしたりします。
授業中にボロボロ泣くのはどうかと思いますが、ちょっと目に涙がためているとか一筋涙がこぼれるというのは、子どもの心に訴えかけるものがあるかもしれません。
3.子どもの頑張りに感動したとき
運動会や発表会など子どもたちが経験する大きな行事が終わった時に、そのパフォーマンスのすばらしさに心打たれることがあります。
素晴らしかった子どもたちの頑張りを称えながら出る涙は、子どもたちにとってもより充実感や達成感を感じられるものになるのではないでしょうか。
子どもたちは時として、こちらが考えている以上のことを成し遂げることがあります。
その頑張りに心打たれたときは、出し惜しみすることなくどの思いを伝えてあげてください。
手のかかる子どもたちであればあるほど、その思いは大きいでしょう。
一応、断っておくと
こういう場面で泣きましょうという話ではありません。
泣いていいのはこういう場面だけですよ~って話です。
そんな純粋な涙を道具に使うなんてよくありません!!
まとめると、つらいとか悲しいとかで泣かないでねって話です。
先生も人間です。
だから感情を表に出すことは悪いことではありません。
でも、どこかで冷静に子どもの状況を把握できるくらいの頭と心のゆとりはもっていないと、学級をまとめることはできません。
怒ることも叱ることも、泣くことも、そして笑うことも、その場その場にあった適切なタイミングで行うことができると、学級経営はぐっとやりやすくなると思います。
いかがでしたか?
5回にわたってお送りしてきました新採先生応援企画
ちょっと厳しい話もしましたが、これからの教育を担う先生たちには強くたくましく、学校で活躍してほしいという思いを込めて書きました。
何かのお役に立てたら嬉しいです。
では、これからは学級経営講座でお会いしましょう。
あなたの教員生活を応援しています。
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