学級経営講座㉓ 学級王国を作ってはいけない

学級経営講座

こんにちは。春名佑紀です。

 

久しぶりに帰ってきました。

学級経営講座!!

皆様も首をながーーーーーーーーーーくして待っていたことでしょう。

いや?

待っていない?

 

そんなーーー!!!!

拒まないでーーーー!!

取り合えず、頑張ります(o^―^o)

 

では、気を取り直して、今日のテーマです。

 

学級王国を作ってはいけない

ちょうど3月の時期は、新年度のクラス編成などが気になる時期ですよね。

異動の場合は、どんな児童か学校かわからないところもあるので、どうなるかわからずドキドキすると思うし、

異動がない場合は、来年度はどのクラスをもつのかとソワソワします。

ほぼ、持ち上がりがわかっている場合は、その心構えもできますが、おそらくクラスが変わるだろうと思っている人にとっては、特に気になるところです。

そして、おそらく

この学年はもちたくないな~。

この持ち上がりクラスはちょっとな~

ということも考えるのではないでしょうか?

その一つに、前担任によってかなり特殊に作られているクラスが存在します。

その一つが

「学級王国」

と言われるクラスです。

学級経営の上手な先生の中には、子どもたちを自分色に染め上げてまるで魔法使いのように操ってしまう先生たちがいます。

では、こういう学級をみんな「学級王国」かというかというとそうではありません。

ここでいう「学級王国」とは

学校で定められたルールを無視して、その学級でしか通用しないまるで独立国家のような学級のこと指します。

この学級王国の形には大きく分けると2つのパターンがあります。

1つは自由形

先程、「学校で定められたルールを無視」と書きましたが、まさにこれを体現したような学級です。

例えば、

給食配膳のときに白衣を着なくてもいい。

1週間に体育を6時間も展開する。

全校朝会での並び方を勝手に変える。

他の先生の注意を聞かなくても叱らない。

 

上に挙げた事例は、実際にあったことを思いつくままに列挙しましたが、とにかく、そのクラスだけ勝手なことをしていて、それが許されているという状態です。

確かに、学校には学校以外の人から見ると首をかしげるような変なルールが存在しています。最近では、「ブラック校則」などといって注目を浴びています。そういうルールが学校内に存在するのも事実です。

また、過去50年以上にわたり、全く完遂できていない「廊下を走らない」というルールも今だ存在しています。

が、何百人という集団がそこで生活しているのですから、ある程度秩序を守るためのルールは必要になります。それに、ルールとなるからには、それができた背景があります。

先程の廊下の件にしても、なかなか守られないとしても、では「もう廊下を走っていいよ」とはならないのが、廊下を走ることによって起こるけがを1件でも防ぎたいからです。

きっと中には子どもたちにとってめんどくさい、だるいものも存在するでしょう。

でも、少なくとも、その学校の一員として属しているのであれば、ある程度そのルールに縛られて生活することはやむを得ないと思います。

しかし、そこで○○先生のクラスはそれをしなくてもいい、△△先生のクラスは厳しく言われない、となると子どもからしたらそれは「いい先生!!」になります。

よそのクラスの先生がそれを注意しても、担任の先生がいいって言ってたし、となれば子どもにとって他の先生の言うことを聞く理由がありません。

そして、そういう自由な楽しいクラスを生活した子どもたちとって、「学級」はまさに独立国家となるわけです。きっと「特別」という優越感も感じられるでしょう。

それを引き出し、学級経営を先生の有利に進めるというのは、本当の意味での「学級経営力」とは言わないと私は思います。

 

実際に、3クラスの学年で、ある1クラスがこのような状態になり、学年が変わってクラス替えをしたところ、このクラスの児童が分割したため、新学年では学年崩壊が起こってしまった例がありました。

これは「自由」という意味を履き違えた結果だと思います。

 

もう一つは独裁王国学級

これはわかりやすいかもしれませんが、担任があまりに怖すぎて、子どもたちをねじ伏せて学級経営をするため、その担任が外れると、タガが外れたように勝手なことをするという現象です。

この場合、この先生が担任をしている期間は、一見するとても品行方正なクラスに見えます。

他の先生から注意を受けたときに態度が悪いと、そういうことにもお叱りを受けるので、「外面」も非常に良かったりします。

ところが、担任が変わって違う先生が入ったと思ったら、今までの態度が嘘のようにはじけてしまいます。

例えが不適切ですが、まさに独裁政権が倒れたときの民衆の図です。

ちなみにですが、こんな学級にいて子どもたちは窮屈ではないのか?と思う人もいるでしょう。実際にそう感じている児童はいると思います。

しかし、独裁国家もそうですが、そういう一人確実に抑える人がいることで、治安が安定すれば、その状態に居心地の良さを感じる子は存在するわけです。

多少窮屈でも、学級の治安が守られるのであれば従おうという意識が働き、その状態に依存していくのです。

 

さて、2つのパターンを見てきましたが、

何が問題かわかりますか?

 

 

問題その1  後任の学年、先生への負担

これはどちらも場合もそうですが、明らかに、後任の先生はやりにくいです。

こちらもかなり強烈なキャラで対抗するか、長期戦覚悟で一つ一つ粘り強く対応するか、といった苦戦が予想される展開となるでしょう。

特に1つ目のパターンの場合、自由にさせてくれた先生をある意味で好いていますから、その先生のやり方にケチを付けようものなら大反発です。

先程も学年崩壊の事例を挙げましたが、そこまで影響力が大きいものになります。

毎年6年生しかもたないという先生なら、あるいは、いいのかもしれませんが。

 

問題その2 子どもたちの考える力が育たない

むしろこちらの方が問題かもしれません。

特に2つ目のパターンの学級王国では、先生を頂点とした集団なので、全ての基準は先生です。

もちろん、どこまで締め付けるかはさじ加減かもしれませんが、確実に子どもたちは先生の顔色を窺って生活します。

例え、自分の考えを述べていたとしても、そのベースは先生の意向を忖度したものです。

1つ目の学級では、一見すると自分たちで考えているように見えますが、これは考えているのではなく、流されているのです。

自分たちで考えるというのは、ある程度の制約条件を踏まえてその中でどう工夫するかとか、どう折り合いをつけるかとかいうことを知恵を絞って考えることを指します。

思ったことをダラダラと、子どもの好き勝手させることでは「考える力」は育ちません。

さらに言えば、学校のルールでおかしいと思うものがあるのであれば、どう変えればいいかを考えて提案するということは、高学年ならできると思います。

 

誤解がないように一応付け加えておくと、私は教師が自分の特徴を活かして行う学級経営を推奨しているので、学校のルールを遵守し、隣の学級に倣った経営をすることを励行しているのではありません。

担任として自分の特徴を活かしつつ、学校の中にいてある程度秩序を守った形で学級経営をしていく方法は他にいくらでもあるので、若い先生は特にこういう方法に逃げないでほしいなと思います。

 

では、今日のお話はここまでにします。

 

あなたの教員生活を応援しています。

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