こんにちは。春名佑紀です。
しばらく更新が途絶えていました。理由は次の記事にちょこっと載っています。
その記事ができる前に先にこちらを差し込みました。
昨日5月28日、また凄惨な事件が起こってしまった。
川崎市で起きた小学生殺傷事件。
最初に思い浮かんだのは、池田小の事件でした。
ちょうど昨年の6月に富山で学校前で工事の警備をしていた男性が刺され亡くなった事件があった。
学校の下校時間と重なっていて、学校の安全ということが話題となった。
その時も感じたことだが、今は「学校」は安全なところではない。
これはある意味、思考停止とも思うのだ。
私が小学生の頃、校門が閉まっていたことはなかったと思います。
校門が閉まるのは、学校がない時。
小中高と避難訓練はもっぱら、地震か火事でした。
しかも年に3回、もはやイベントのようなもので、真剣に取り組んだ記憶もあまりありません。
しかし、二十年たって教員になったとき、これほど大事なものなのかと痛感しました。
奇しくも、初任の3月に東日本大震災が起こり、災害がいつ来るかわからないことを痛感し、
避難訓練は私にとっては最重要事項でした。
特にその初任の8月に警察を交えて行った不審者訓練は、
私の気持ちを変えるには十分するぎる内容でした。
もし、教室に不審者が入ってきたら・・・。
実際に警察の方が不審者役をやって、他の教員が児童役をやり、私は教員役をやらせていただくことがありました。
その時の私の感触は、5秒。最大で10秒ちょっと。
これは、私が子どもたちに与えられる「逃げる時間」です。
刃物をもった人間を、しかも男性であれば、女の私が止められるのはせいぜいその程度が限界だと感じました。
しかもそれは捨て身の話。一瞬でも私が躊躇したら、犠牲は子どもだと思いました。
校内での訓練は、当然不審者を校舎内に入れないということを大前提にしています。
しかし、年に1回児童を交えて行われる不審者訓練は、その現状とはほど遠く、
子どもにとっては何もわからないまま行われる訓練だったと思います。
そのたびに私は、自分のクラスの子どもには、
「逃げなさい」
と指導してきました。
それ以外に、子どもたちが自分の身を守るためにできることがないと思いました。
この2日に渡り、様々なテレビ報道などを見てきましたが、
今回の場合は犯人が自死しているため、
なぜ、このような犯行を行ったのかという動機の解明は非常に困難でしょう。
ただ、
子どもたちが狙われたこと、
登校時間帯であったこと、
子どもがある程度集まることがわかっていたこと、
などは推測できます。
でも、かといって、防げたかと言われれば、
それは不可能に近かったと思います。
保護者の一人が
「我々大人はどうやって子どもたちを守ればいいのでしょうか?」
と悲痛な思いを語っていましたが、
もし、自分があの場にいたらと思うと、同じことを考えたのではないかと思います。
でも、あえて言うのであれば、
子ども自身に、「自分の身を守る力」を身に付けさせることに尽きるのではないかと思うのです。
無責任だという批判は覚悟しています。
でも、結局は自分の身を守るしかありません。
もちろん、大人が何もしないということではなく、
子どもを守るためにできることは手を尽くすべきです。
今回の学校のように、子どもを一人にしないために、集団登校やスクールバスの手配、教員の配置、運転手に警棒常備など様々な工夫をしています。
さらに、警備員の配置、防犯カメラの設置、警官の巡回など、
今後様々な対策が考えられるでしょう。
保護者の方の見送り、お迎え、防犯ブザーやGPS等の携帯など今以上にいろいろ考えられると思います。
また、地域の人たちの力を借りて、子どもを一人にしないように声をかけたり、
不審な人物の情報を共有したり、地域ぐるみで防犯意識を高める取り組みも
今一層強化が必要です。
でも、それと同時に、子どもたち自身に自分の身を守る術を身に付けさせてあげることが必要です。どんなに、大人が子どもを安全に囲ったとしても、どこかに穴ができてきます。
極論を言うのであれば、外から一歩も出ず、ずっと家にいる以外安全ではなくなってしまいます。
それは本当の意味で子どもを守っているとは言えないのではないでしょうか。
安心して住める安全な社会を作ること、それはみんなの願いだし、
その実現のために大人が知恵を出し合っていくことはこれからも続けていかなければなりません。
子どもがいるいないに関わらず、地域全体で子どもを守ろという意識は
今以上に醸成していくことが求められます。
そして、子どもたちには、自分の身を守るための教育をしていくこと。
これは同時並行で必要だと考えます。
子どもにできる身を守ることは大きく分けると3つです。
1.大声を出す
2.大人に助けを求める
3.逃げる
これは、常に言い続けていないと、いざという場面に遭遇してもできません。
あるキャスターが、
「安全だと思って、学校に送り出しているのに、こういうことがあると・・・」
という発言をしていました。
これは、そういう意識はないかもしれませんが、責任転嫁であり思考停止です。
安全な社会を作ることと、子どもに自分の身を守る力を身に付けさせること。
特に学校では、後者への取り組みが必要だと考えます。
この事件を、再度「安全意識の見直し」に役立てなければいけません。
亡くなったお二人のご冥福をお祈り申し上げます。
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