子どもたちの「生きる力」⑧ 主体的に生きる

教育全般

こんにちは。春名佑紀です。

これからを生きる子どもたちに必要な「生きる力」を考えてきてはや10年。
様々な場面で、これからの社会とそれを生き抜くのに必要なものは何かを考えてきました。
これは、社会の変化がスピードを増す中、私自身がどうあるべきかということを考えながら、思考を巡らせてきました。

いくつか具体的に「能力」として挙げてきましたが、結局はここに行きつくのではないかという結論に近いものを今日は提示してみたいと思います。

主体的に生きる

どっかのアクティブラーニング(そのままじゃん)的な内容ですね。
ひねりもない。驚きもない。

一応、辞書で調べてみました。

主体的:自分の意志・判断によって行動するさま

まあ、そうでしょうね。
そのまんまですね。
いまさら私の説明が必要なものでもないでしょう。

 

 

終わっちゃう~!!

いやいや説明させてください。
説明めっちゃしたいです!!

まず、なぜ「アクティブラーニング」で「主体的」って言葉が入っているかから考えていきます。

「アクティブ」は和訳すると「能動」
主体的ですよね。

わざわざこの時期に、文科省がこんな文言を学習指導要領にいれてきたのには2つの理由があると思います。

ひとつは、学習は主体的でなければ身につかないから。

これにはあまり説明はいらないと思いますが、もちろん受け身でもある程度身に付きますが、学力の定着やその後の活かし方については当然主体的に学んだ方がいいでしょう。
だからもっと子どもたち主体の授業展開をしましょうということです。

もうひとつは、現状「主体的な学び」が実現できていないという批判です。

まあ、こちらについてはいろいろ反論もありますが、
一方的な知識偏重への批判や、講義型の授業には様々なところで指摘されています。
暗記には強いけど、応用に弱いとか、思考力が弱いとか言われてきたので、
学校教育でそれを改善していこうという流れはまあわからないではありません。

こういう背景から、わざわざ学習指導要領に
「もっと子どもを主体的にした授業をやっていこうよ!」

と発破をかけられているわけです。

ちなみに、30人前後いる集団授業において、子どもたちに主体的な学びをさせるためには、教師にかなりの技量が求められることは言うまでもありません。
さらに、毎時間全教科そんな授業をしていたら、教科書は1年間で終わりません。
ただ、現状、小学校においては子どもが教師の話をひたすら聞いて、黙々と板書を書きとるなんて授業をしている先生はいないと思います。
絶対子どもは飽きちゃうし、そんなんでは授業から崩壊が始まります。
もちろん教科や単元によって、そういう授業を展開したり、ひたすら問題を解いたりという時間をうまく組み合わせる必要があります。

話は逸れましたが、学校の授業においては、ある程度「主体的」を取り入れていくことは想定できるわけです。

しかし、「主体的」であることは勉強だけでしょうか?

むしろ、今必要なのは学び以上に「他者との関わりを主体的に行うこと」の方が急務だと感じます。

今、学び以上に子どもを取り巻く社会は「主体的」から離れていくように思うのです。

例えば、子ども同士のトラブル

子どものけんかに親は介入しないという暗黙の了解があった時代がありました。
しかし、今は真っ先に親に連絡をしないと話がこじれて仕方ありません。

遊びなどでも、自分から誘えない子どもが多くなりました。

自分の気持ちを話するのも、誰かが代弁してくれるのを待っている場合もあります。
(自己表現の記事でも話しました。)

自ら動いて何かをしなくても、周りが手を差し伸べてくれる環境にあれば、だんだん自分からやらなくなるのは当然です。

人は、目の前に問題が立ちふさがったときに「どうする?」と考えて、それを突破するときに成長する生き物です。
問題を周りが回避させてあげることではありません。

もちろん、発達段階に合わせてその問題が適切かどうかはあります。

子どもから助けを求めてきた場合には、一緒に問題に取り組むという姿勢は大事でしょう。

でも、あくまでも解決は「主体的」に行わせたいです。
その辺のさじ加減は確かに難しい。

でも、学校という中であれば、全て教員が把握できるわけもなく、高学年にもなれば友達に助けを求めることもあり、必ずしも大人が必要ではなくなることも出てきます。

そして、小学校3・4年くらいには、自分の行動に責任をもつという姿勢を身に付けてほしいと思っています。
自分の行動に責任をもつということは、自分の行動は自分が決めることを意味します。
よく子どものいいわけで

「〇〇くんが、そういったから」

というものがあります。
これは、別に珍しいことではなく、怒られることを回避したい気持ちからの言葉です。

でも、実際に行動したのは自分。
誰に何をそそのかされようと、動いたのは自分。
そこを見つめることをしてほしいと思います。

取り返しのつかないことでない限りは、何度でも挑戦できます。
取り返しのつかないとは、傷つけること。特に大けがなどをさせるのは避けなければいけません。
負った方にも負わせた方にも傷が残ります。

もちろん心の傷もケアしてあげなければいけませんが、
多少のタフさも身に付けてほしいです。

問題やトラブルが起きないようにするのではなく、
起きた問題やトラブルをどう解決するかを考えられる子どもを育てていきたいと思っています。

それが「主体的に生きること」につながると思うのです。

賛否あると思います。

子どもにいらぬ苦労をさせるべきでないとか
負荷をかけることは、トラウマになるとか
大きな傷となり大人になるまで響くとか
それはわかります。

私自身、中学校のいじめが影を落とした時期がありました。
小学校の時は、学級委員を下ろされたこともあります。

でも、それがあったからこそ今の自分が形成されたとも思っています。

そして、当時はもうだめだと思ったことは何度もありましたが、
生きていくのに支障があったわけではありません。

トラブルを大人が払うのではなく、それを払うための知恵を与えることが
本当の意味での教育なのではと思います。

最近では

「死ぬ以外はかすり傷」なんて本もありますが、
生きていれば、いくらでも挽回可能なのです。
挽回できないと思い込んでいるのは、実は私たちだけなのかもしれない。

学校というある意味で守られている箱庭の中で経験する全てを糧にしてやろうというくらいの図太さがあってもいいのではと思います。

 

この主体的な生き方はきっと人生を大きく左右するでしょう。

あなたは主体的に生きていますか?
自分の人生を他のせいにしていませんか?
あなたの人生の主人公はあなたです。

そんな姿勢を子どもたちにも見せていきたいし、
そんなふうに育てていけたらと思います。

 

いかがでしたか?
最後はちょっと主張っぽくなってしまいましたが、
自分の行動に責任を取るというよりは、自分の人生の主人公だという意識で生きていく方が、何倍も楽しいと思います。

そういう生き方を望む人のそばに寄り添えたら、
私は嬉しいです。

 

あなたの人生を応援しています。

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