子どもたちの「生きる力」⑦ 想像と創造

教育全般

こんにちは。春名佑紀です。

いよいよ梅雨の到来ですかね。
ここから9月までの4か月ほどは私にとっては試練の季節になります。
湿気がとにかく嫌いで嫌いで・・・。

さて、「生きる力」も7弾まで行きました。
恐らく10くらいまで行きそうです。
もう少しお付き合いください。

今日のテーマは

想像と創造

「生きる力」の最初に出てきた「確かな学力」がありましたが、
少し関連のある話です。

「確かな学力」のところでは、主に「学力」の話をしました。
そこでは「知識」を覚えていく過程をメインに話をしたのですが、
今日の話は、「知識」とは別の学力と定義をしてもいいかもしれません。

日本語って難しいので、同音異義語がたくさんあります。
「想像」と「創造」も同音異義語で、学校でもかなり初期の段階で意味と漢字を覚えさせますよね。

この2つは違う意味ですが、とても関連のあるものです。

1つずつ見てみましょう。

「想像」

「実際には経験していない事柄を推し量ること」と辞書には載っています。

似たような言葉に「妄想」や「幻想」「空想」などがあります。これらをひっくるめて「想像」とひとまとめにする解釈もあります。

「妄想」や「幻想」という現実離れした根拠のない世界と捉えられることが多いですが、
基本どの言葉にも「実際に起こっていないこと」を思い描くということが共通しています。

では、なぜこの「想像力」が必要のなのか?

1つは、今の社会は人間の「想像力」から生まれているからです。
今現実には存在しないものを「想像」することで、それを形にしてきました。

例えば、飛行機は、鳥をモデルにし「こんなふうに飛べたら」という想像から生まれたものです。
私たちの身近にある道具の多くは、そういう「想像」から生み出されたものです。

想像する能力が人間になければ、今のような社会はできなかったかもしれません。

もう1つは、人の気持ちを推し量るための力です。

想像の言葉の説明で、「現実に存在しない」と出てきましたが、
私たちにとって、他人の気持ち・心の中は見ることはできません。

それも、「想像」しかできないのです。

もちろん、人間には言葉があり、それを使ってコミュニケーションをしていますが、
いまだにコミュニケーションがノンバーバル(非言語)を主体として行っていることを考えると、この想像力を使って、コミュニケーションをとっているといえます。

あくまで「想像」でしかありませんが、相手の気持ちに寄り添って考えることができるからこそ、人間は人と共存しここまで発展できたのではないでしょうか。

さらに最近の研究で、「想像」は実体験と似たような効果をもたらすことがわかっています。

「イメージトレーニング」などがそれで、極力現実に近い想像は、その実体験と近い感情を味わうことができるそうです。

例えば、誰かの大変な体験談を聞いて、同じような気持ちになり涙するというのも、自分が経験していなくても、その話を自分の中で「想像」することで、まるで自分が体験した可能に感じるのも、
「想像力」が働くからです。

つまり進化の歴史において、この「想像力」は不可欠なものだったと言えます。

 

「創造」

「新しいものを初めてつくり出すこと」と書かれています。

実際に世の中に形として誕生させるのが「創造」です。

「想像力」を働かせていろいろ思い描いたとしても、そこで終わってしまうと「妄想」や「幻想」止まりで、頭の中だけで完結してしまいます。

アイデアは形にしてこそ価値が生まれるのです。

「想像」のところでもさらっと書いてしまいましたが、

「想像」があり、それを「創造」して初めて現実が変わるのです。

結局関連づいてしまいましたが、この2つは繋がって初めてその力を発揮するものと言えます。

 

ではなぜ、今この力を必要としているのか。

あくまで私の持論ですが、2つ理由があります。

1つは、「想像力」の衰えです。

先程想像力はコミュニケーションでも使うという話をしましたが、
最近、人との関わりで「想像力」を使う場面が減っているように思います。

コミュニケーションツールの発達によって、今まで見えてこなかった人の気持ちがむき出しになっていて、想像するよりも先に心が見えてしまうことが増えたように感じます。

さらに「想像力」が最も力を発揮するのは、「こうだったらいいのに。」というさらに良くしたいとい思う気持ちからです。
ここまで社会が便利になり、今思いつくものは大体叶っているとなると、「想像力」を使う機会も減ってきます。

「想像」がいずれ「創造」と結びつき、現実に形にすることを目標とするならば、
不便を感じなければ、そもそも「想像」しなくなるでしょう。

「想像力」は、人間の欲求に対して働く力なので、その欲求が減ってしまうと必然的に衰えてしまうのではという懸念があります。

もうひとつは、社会の変化です。

現在はとても速いスピードで社会や世界が変化しています。
特に技術革新は目覚ましく、特に人工知能の発達は今までの常識を覆す速さで進歩していくのではと思うのです。

これは「ターミネーター」を見たことがある人は共感していただけるのではと思いますが、
方向性は違うにしろ、似たようなものが出来ていることに怖さを感じます。

人工知能はまさに人間が「創造」によって作り出したものですが、これが人間の「創造力」を越えてくる可能性もあります。

この変化に合わせて、私たちの「想像力」を働かせていかないと、人工知能をコントロールする側からされる側に変わってしまう時がくるかもしれません。

まあ、ここまでの話も完全に私の「想像」ですが、どうなっていくかきっと私たちの「想像」を越えてくるように思うんです。

 

きっと私が生きている間に、人工知能の戦争は起きないと思うし、人型ロボットと恋をするという世界は来ないと思いますが、100年後はわかりませんよね。

こんなふうに未来を「想像」し、そこでどういう人生を「創造」するかを、
これから生きていく人たちはしっかり考えていかないと、ただ時代に流されてしまいます。
それは技術革新の分野だけでなく、社会制度なども同じです。

先日金融庁が無責任にも、「2000万貯金しろ」といい始めましたが、
2000万の貯金って、「はい、1年後には貯金します」って話じゃありませんよね?

5000万の家買って35年もかけてローンを払う家庭にとって、夫婦で2000万ってどれだけかかるの?って思いませんか?
そしてこれは、10年ごとに1000万ずつ増えていく可能性があります。

となると、すでに年金で老後を暮らすという選択肢を外して、これからの生き方を考える必要があります。

これは1つの例ですが、もしかすると、2000万かどうかは別にして、
いずれ年金制度が破綻し、年金では老後が送れないことを何年も前から想像していた人もいると思います。

こんな時に、「想像力弱者」はもろにあおりを受けてしまいます。

今まで以上に、「想像力」と「創造力」は必要になってくるでしょう。

 

では、どうやって身に付けるのかって話ですが、

前回、「変化に対応する力」でも話をしましたが、これはトレーニングです。

ちなみに変化に対応する力は「創造力」を鍛えます。

子どもの「想像力」って面白くて、ある程度常識にとらわれてしまう大人では考えもつかないようなことを想像します。
その経験ってとても大事で、それを「現実にはあり得ない」と一蹴するのは得策ではありません。

現実ないものを想像するから「想像」なのですから、どんどん「想像力」を使うべきです。
そして、最初は絵などになると思いますが、どんどん見える化させるのです。

図工はそういう意味では「想像」と「創造」を鍛えます。
「想像力」は個人差があります。ならば、最初は人のまねでもいいのです。
「創造」をしていくうちに、「想像」が刺激されることもあります。

なんといってもこの2つには相関関係があります。

こういうことを続けていくと、芸術作品であれ、技術であれ、社会政策であれ、ビジネスのアイデアであれ、今そこにないものを生み出す原動力になります。

「想像力」の発達は、小学生よりも前の段階から発達するので、
その子の入りやすい方法から自由に行うことが望ましいのではと思います。

ちょっと長くなりましたが、今日はこの辺で。

あなたの人生に、「想像」と「創造」を。

 

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